良いことをするのは恥ずかしい?

数年前、ある地方の郊外のスーパーのレジでの私の体験です。

500mlペットボトルの水を買おうと並ぼうとすると

「それ、ひとつ?お先にどうぞ」 と、順番待ちをしていた女性が笑顔で譲ってくれました。

何のためらいもなく自然に、スッと譲ってくれたので、お礼を言ってお先に通らせてもらいました。

モジモジせずにサッと笑顔で、素敵でした。

「恥ずかしいな」、「かえって迷惑かな」、など、全く思っていない仕草。

当たり前に普段から、そうしているのだな、と分かる行動です。

そういえば、もうひとつ同じ感覚になったなと思いだしたのはエレベーターでの出来事です。

とあるマンションのエレベーターに乗るときに先に入った男性が、

何も言わずレシートのような丸めた紙ゴミを拾いあげ、持ち帰りました。

たった1つのゴミが無くなると、スッキリしたエレベーターの中。

レジを譲ってもらったときと同じ感覚だったことを思い出しました。

良いことをするというのは単に、その場が心地良くなるだけでなく物事がスムーズに進んだり、

場が片付いて整ったりと効率的な側面もあると感じます。

良い行動を取り続けていると、良い人ぶっているように見えたり、

正しい人っぽくしているように見られたりするときもあると思います。

その行動が、特段に「良いこと」と取られるのではなく、「普通」になっていくと良いですね。

例えば、

社内の整理整頓を言われてからするのではなく、

出社時に軽く掃除をしてから仕事を始めて終業前に片づけ、掃除をしてから帰る、

同じ部署でなくても大量の書類の山に囲まれている人がいたら

「手伝えることある?」と聞いてみる、

自部署で工夫して取り組んでみたことが思いのほか良い結果に繋がったら、

社内に気軽に展開してみる、

など誰かが見ていて評価されるからやるのではなく、自分の余力や余白を作ったり、

自社全体が良くなることを伝えた合ったりするのは、全社の推進力をあげる大切なことと思います。

このようなことを恥ずかしがらず、普通に当たり前と思って行動するひとが増えてくるような風土が

出来てくると良いと思い、日々各事業所へ伺っています。

※この記事は、2018.1.30に掲載したブログを元に加筆して再掲しています

(森川 美希)