飲酒運転根絶1 《緑 一郎つぶやきシリーズVol.32》
緑 一郎のページへようこそ!

このページは、(株)イエス,アンドが提供する、安全運転への呟きアドバイスです。
ここでは、私の安全運転への“つぶやき”から、これは“ゲット”と思った
「とっておき情報」や「これはいいね情報」を、あなたのポケットに入れていただき、
これから運転する時に、ポケットの中を思い出して、
交通事故からご自分やまわりの方々を守ることができれば、
それは私にも「最高の幸せ」という思いから、
“つぶやき”シリーズのページで呟くことにしました。
第32回は、『緑 一郎“つぶやき”シリーズ「飲酒運転根絶1」』です。
◎ はじめに
2月26日、朝のテレビニュースで「昨日の朝9時前、乗用車が市内の歩道と
横断歩道上にいた女性2人をはね、頭の骨を折る大けがを負わせるなどし、車は
そのまま逃走しました。」
「警察によりますと、付近の交番の警察官が110番で手配し、高速道路で
県警高速隊が逃走した車を発見。停止を求めましたが、約8キロにわたり逃走
しました。高速隊は、車を運転していた男を、道交法違反容疑で現行犯逮捕。
ひき逃げの際、運転していたとみられる、同乗していた男を、自動車運転処罰法
違反(無免許危険運転致傷)と道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)の疑いで
逮捕しました。」と朝から、安全を無視した酷い内容の、飲酒運転事故のニュース
が流れました。
私は、このニュースを聞いて、悪質なひき逃げ事件の発生に際し、交番の警察官と
高速隊員は、迅速で大変的確な対応だったと思いました。
飲酒運転による、悲惨な交通事故が発生する度に、飲酒運転の防止、撲滅、根絶等が
叫ばれていますが、いまだに飲酒運転事故は、なくなりません。
今回からは、『緑 一郎“つぶやき”シリーズ』で、飲酒運転の根絶に向けて
呟くこととしました。
○ おさらい
これまで、飲酒運転による「痛ましい交通事故」は、たくさん発生していますが、
その内から記憶に残る幾つかを、呟いてみたいと思います。
・ 1999年11月28日、東京都世田谷区の東名高速道路で、家族4人が
乗った乗用車に、酒酔い運転のトラックが追突、乗用車は炎上し後部座席の
幼児2名(3歳、1歳)が焼死しました。両親はこの時、かなこちゃんの
「あちゅい」ちかこちゃんの「わぁーん」と泣く声が耳から離れません。と
語っていました。
当時は、危険運転致死傷罪の法律がなく、トラックの運転手は業務上過失致死傷罪で
懲役4年が確定し、運送会社と運行管理者も書類送検されました。
さらに運転手と運送会社は、多額の損害賠償を支払はなければならないこととなり
ました。
この事故はその後、危険運転致死傷罪の成立に大きく影響しました。
・ 2006年8月25日、福岡市の海の中道大橋で、当時福岡市役所職員(22歳)が
飲酒運転をして、前方の乗用車に追突し、乗用車は海中に転落、乗車していた幼児3名が
死亡しました。
この事故は刑事裁判で、危険運転致死傷罪の適用について争われましたが、最高裁で
危険運転致死傷罪と道交法違反で懲役20年が確定しました。
民事訴訟では、多額の損害賠償を求められましたが、運転手と父親が謝罪して損害金を
支払い、同乗していた2人も見舞金を支払う事で、和解が成立しました。
この事故の1年後、酒酔い運転、酒気帯び運転の罰則が強化されたほか、酒、車の
提供や飲酒運転の車に同乗する行為の処罰が、明文化されました。
・ 2015年6月6日、北海道砂川市で当時、共に28歳の2人が飲酒のうえ、2台の
車でレースまがいの高速運転で、信号を無視して家族5人が乗る車に衝突、家族4人が
死亡し1人が重体となりました。札幌高裁で、2人は危険運転致死傷罪等で懲役23年が
確定しました。
思い出してください、これらは、悲惨な飲酒運転事故のほんの一例です。被害者は、
大事な人生や家族を台無しにされ、加害者はその償いに、人生の大半を捧げなければ
ならないこととなります。次回からは、飲酒運転の根絶と、人生を誤らないための一助と
なるべく、呟いていく予定です。
《参考文献》
ASK飲酒運転防止通信スクール資料
警察庁交通局配布資料(飲酒運転事故関連統計資料)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

では、第32回はこのへんで、次回をお楽しみに!
(緑 一郎)